セコさと意地だけで挑むマラソン大会や、しみじみとした日常を綴ります。



   
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まんた1968

Author:まんた1968
数年前からランニングを続けている奈良県在住のオッサンです。
年に二、三回ですが、ウルトラマラソンにも挑戦しています。
タイムは凡庸なものですが、完走を目標に意地で走りつづけることを得意としています(笑)。

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石垣は語る

   
 正月最終日の昨日、我が町大和郡山市にある郡山城跡へ散歩がてら行ってきました。近鉄郡山駅から徒歩でおよそ10分です。
20150104142605b00.jpg
 郡山城跡は桜の季節になると「お城祭り」が開催されてけっこうな人だかりなのですが、普段は訪れる人もまばらです。姫路城や熊本城のようにお城そのものが復元されているわけでなく、遺っているのは石垣だけなので、遠目に惹きつける魅力に乏しいわけです。
 それでも近年話題の「天空の城・竹田城」のように、石垣だけで魅せることが可能ならば良いのですけど、山城ではないので、ここには幻想的な靄もたなびいてはいません。
201501041426338c1.jpg
 自治体の努力で追手門などは綺麗に再現されているのですが、城跡自体は現在も発掘・研究中で、過去に幾度も取り壊されて現在に至っているので、どのような形状であったのかも漠然としているようです。
201501041427142dd.jpg
 そもそも最初にこの場所に城郭らしきものを拵えたと伝えられている「郡山衆」なる集団が、一体何者であったのか不明な点が多いのです。この郡山衆の後、戦国時代に城は、織田信長軍の外様大名となった筒井順慶の居城となるのですが、その時点では平城に過ぎなかったという説もあるようです。
 順慶は指揮系統で言えば、私の好きな明智光秀の与力の立場ゆえ、城の改修には間違いなく光秀自身も絡んでいると想像します。光秀は築城名人だったそうなので、当時この城がどのような姿をしていたのか、嫌が上にも想像が膨らみます。
201501041427450af.jpg
 順慶の死後、筒井家は、豊臣秀吉に国替えを命じられ、伊賀の国へと移って行きます。この国替えは本能寺の変後の光秀VS秀吉のパワーゲームの折に、ひたすら沈黙を守り、どっちつかずの態度に終始した筒井家に対する、懲罰的な意味合いが込められていると言われています。
 そして筒井家に代わって郡山城に封じられたのが、秀吉の異母弟である豊臣秀長なのです。城はこの秀長時代に大規模な改築工事が実施され、巨城へと変貌を遂げたようです。

 この工事に際して天守台の石垣を築く為に、地域一帯からありとあらゆる石が集められたと言われています。石仏や五輪塔はもちろんのこと、平城京の羅生門の礎石までが掘り返され、運ばれた形跡もあるそうです。
201501041428107b2.jpg
 今は工事中で立ち入り禁止ゆえ、画像はネットから拝借したのですが、城北面の天守台の石垣には、石仏が頭を下に向けて埋め込まれています。「逆さ地蔵」として割と有名です。むごい姿だと感じずにはいられません。

 神仏など信じず、安土城建設の際にはあらゆる石仏を徴収したエピソードは、信長の不敵な一面を象徴するものですが、信長に限らず、戦国期にはそのような振る舞いは当然だったということでしょう。兄・秀吉の無謀な朝鮮出兵の報を聞き、「天下太平の世がやっと訪れ、民が要約ほっとしたというのに、なにゆえそのような暴挙に出るのか? ここは何としても兄者を諌めねばならん」と郡山城の病床で歯噛みしたという秀長のような良識人でさえ、民がささやかに手を合わせていたお地蔵様を、半ば力ずくで徴収しているのです。
 「飽くなき競争の戦国時代」……グローバル化という過当競争が善きものとされている今の世と、だぶるところがないでしょうか? 弱者の痛みなど一顧だにしない強者の論理。その論理の行き着く果てなのか、信長は部下の手で命を落とし、豊臣家は断絶……。
 狭苦しい石垣に逆さに閉じ込められた仏様だけが、その答を知っているような気がしてなりません。 
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