セコさと意地だけで挑むマラソン大会や、しみじみとした日常を綴ります。



   
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まんた1968

Author:まんた1968
数年前からランニングを続けている奈良県在住のオッサンです。
年に二、三回ですが、ウルトラマラソンにも挑戦しています。
タイムは凡庸なものですが、完走を目標に意地で走りつづけることを得意としています(笑)。

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邪馬台国論争について

   
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「邪馬台国の所在地はどこか?」について書かれた本がけっこう出ています。私も好きなジャンルなので、これまであれこれと読んできました。畿内説、北九州説はもちろんのこと、琉球説、なかには「邪馬台国は無かった」などというものまでありました。
 私は奈良県人ですので畿内説を指示したいのは山々ですが、どうしても大和王権の前身が邪馬台国だったとは思えません。倭人伝に記された邪馬台国の習俗(とりわけ入れ墨に関する点など)が、すんなりと大和王権にシフトしないのです。
 では邪馬台国とは、北九州に存在した小国の連合体であったのかと言われれば、畿内説と比較するとこちらの方が余程しっくりくるのですが、これとて倭人伝の邪馬台国までの道程記述とは相容れません。記述どうりなら、所在地は、九州の南の海上になってしまうのですから。
 そこで邪馬台国をどうにかして九州の中、あるいは畿内へと導くために、様々な倭人伝の解釈がなされています。伊都国や奴国などの中継地を起点に、放射線状に書かれた日程であるとか、南行は東行の間違いであるとか、まあ言ってみれば初めに答ありきで都合良く解釈していくわけです。しかしこの方法だと、極論になりますが、邪馬台国をハワイに持って行くことだって可能になってしまいます。
 あれこれ関連書籍を読んで私がたどり着いた結論は、「もはや倭人伝を幾らいじくり回してみたところで、本当の所在地はわからんだろう」です。いや、いじくればいじくるほど益々混迷の度を深めるのがオチという気さえします。
 外国の文献に頼れないとなった以上は、もう考古学的新発見を待つか、国内の文献を再検討してみるしかないわけです。要するに「荒唐無稽の作り話」と考えられている記紀の神話時代の部分にメスを入れてみるということです。邪馬台国の所在地が判明するかどうかは別にして、邪馬台国=大和王権でないことがはっきりするかもしれません。神武東征のくだりに関してはまだまだ検討の余地がたっぷりあると思います。

 そんな私が「これはッ!」と膝を叩いた一冊。
 若井敏明著「邪馬台国の滅亡-大和王権の征服戦争」(吉川弘文館 税抜き¥1700)
 内容には敢えて触れません。興味のある方はぜひご一読を。面白さ請け合いです。表紙の青木繁の絵画「日本武尊」も素晴らしいです。
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