セコさと意地だけで挑むマラソン大会や、しみじみとした日常を綴ります。



   
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まんた1968

Author:まんた1968
数年前からランニングを続けている奈良県在住のオッサンです。
年に二、三回ですが、ウルトラマラソンにも挑戦しています。
タイムは凡庸なものですが、完走を目標に意地で走りつづけることを得意としています(笑)。

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夏の古墳④-桜井市 メスリ山古墳

   
 この古墳は桜井商業高校の南側にある墳丘長約250mの前方後円墳です。国道169号を南下、阿倍の交差点をそのまま直進し、木材団地の中で高校方面へ左折します。クルマはファミリーマート桜井阿倍店に駐めさせてもらいました。古墳はそこから南東へ徒歩で約3分といったところです。
 にしてもこの古墳、北側からですと住宅地の建物が邪魔になり、形状がほとんどつかめません。ので、南側からしか登れないとの事前情報のもと、古墳の東側を回って向こう側へ出ることにしました。
IMGP0080.jpg
 上の写真が東側から見たものです。後円部の盛り上がりしか見えないので迫力に欠けます。遠巻きにぐるりと南側へ回り込むと、ちょうど後円部と前方部の接合点あたりに「八坂神社」があります。この神社付近から古墳へ登ることができると聞いていたのですが・・・。
IMGP0069.jpg
 拝殿のその奥が前方部の墳丘へと続いているのはなんとなくわかるのですが、登り口らしきものは見当たりませんし、訊ねたくとも神社は無人です。一旦神社の階段を下って時計回りに少し歩くと、畑の脇に上へと続く道らしきものがありました。その道を辿り古墳の上へ出ました。下の写真です。
IMGP0066.jpg
 位置は後円部から下ったあたりのようです。出来るなら後円部にまず登り、そこから実際に下ってみたかったのですが、やむおえません。ここは私有地なのでしょうか? 栗の木が植えられ、それ以上後円部に近付けそうにありませんし、逆に前方部の先端の方へも進めそうにありません。ここはひとまず引き返します。
IMGP0075.jpg
 下へ戻り、古墳の形に沿って時計回りに進もうと思いましたが、ここより先、道はありません。仕方なく遠巻きに古墳の西側を目指します。遠巻きにとは言え、それでも規模が大きすぎるのか、古墳の全容はつかめません。
IMGP0084.jpg
 やっとこさ古墳の北側へ出ました。北側は公園として綺麗に整備され、南側とは趣がまったく異なります。
IMGP0078.jpg
 遊歩道を歩き、古墳への登り口はないものかと探していると、やがて舗装が途絶え、古墳の東側へ行き当たり、道はそこでお終いです。
IMGP0079.jpg
 上の写真が東のどん詰まりです。後円部側の最先端のあたりに位置します。古墳の一部を浸食するように、後の時代の墓石が建てられています。
IMGP0081.jpg
 後円部への登頂をあきらめ、とぼとぼと道を引き返した時、まさに偶然に登り口を見つけました。草が茂っていた為に見落としていたのです。秋や冬ならばもっと容易く発見できていた筈です。
IMGP0082.jpg
 ここでも栗が栽培されているのか、イガイガが散らばる斜面を登っていくと、ついに後円部墳丘の頂とおぼしき場所に出ました。まさに感無量です。
 生い茂る木々の中を、なんとか先程の八坂神社の裏手に出ようと試みましたが、罰が当たりそうな気がしたので断念しました。
IMGP0083.jpg
 上の写真は墳丘の上から斜面を見下ろしたものです。けっこうな高さです。先日登った茶臼山古墳の頂よりもおそらく高いのではないでしょうか。
IMGP0077.jpg
 茶臼山古墳とあわせて、これで「鳥見山古墳群」と呼ばれている古墳時代初期の二つの巨大古墳を実際にこの足で歩いてみたわけですが、この二古墳は天理から箸墓にかけての古墳密集帯から少し離れているというだけで、管理面など様々な点で冷遇されている感が否めません。しかし、この一帯こそ古代から磐余(いわれ)の地と呼ばれていたのです。大和王権の初代、神武天皇の別名がイワレヒコということからも、鳥見山の麓のこれら二つの古墳がもっと注目を集めても良いと思うのです。
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