セコさと意地だけで挑むマラソン大会や、しみじみとした日常を綴ります。



   
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まんた1968

Author:まんた1968
数年前からランニングを続けている奈良県在住のオッサンです。
年に二、三回ですが、ウルトラマラソンにも挑戦しています。
タイムは凡庸なものですが、完走を目標に意地で走りつづけることを得意としています(笑)。

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神仙方士、ここに眠る?

   
 奥熊野いだ天ウルトラマラソン100km完走から一夜明けた4月27日(月)、今日は新宮駅から日本最長の路線バスである「八木新宮特急バス」に乗って奈良へ帰ろうと計画していたのだが、いかんせんバスに揺られること、およそ七時間の長旅。なので、起床して、少しでも倦怠感があるようなら取りやめて、JR線で、南紀白浜回りで帰ろうと思っていた。昨日のマラソンの疲れが残っていないはずはないのだ。

 しかし目覚めてみて、気分はすこぶるクリア。ホテルの階段を昇降するも、脚に痛みはほとんど無し。「これはイケる」と瞬時に判断し、朝食後にチェックアウトし、最寄りのJR那智駅へと向かったのであります。
20150506133957b07.jpg
 那智駅から新宮駅まではおよそ二十分。乗車する八木新宮バスの発車時刻は午前9時59分なので、これから五十分ほど待たねばならない。
2015050613402957f.jpg
 そこで行き着いたのが「徐福」。そう、ここ新宮市は、神仙方士・徐福の伝承が色濃く残る土地として有名なのです。ちなみに駅前には、「徐福寿司」や「ビジネスホテル徐福」の看板も見受けられます(笑) それだけ土地の人々から親しまれている存在なわけです。
 自称「ミステリーハンター」の私としては、わずかな待ち時間といえども、この神秘的な歴史上の人物を追わないわけにはいかないじゃありませんか。義務のようなものです(笑)

 幸いにも、駅前から手が届くほどの距離に、「徐福公園」なるものがあります。
 正門は中華風で、何とも色鮮やか。入園無料なので気軽に足を踏み入れます。
201505061340575aa.jpg
 すくっと直立した徐福像が、笑顔で「よういらした」と迎えてくれます。
20150506134125225.jpg
 徐福とは秦の始皇帝に仕えた「方士(現代で言えば、占い師、まじない師みたいな存在か?)」で、不老長寿の仙薬を求める始皇帝の命を受け、童男童女三千名を船に乗せ、東海へと旅立ち、再び還ることはなかった、と伝えられている人物です。
 始皇帝の時代からおよそ百年後に書かれた歴史書である、司馬遷の「史記」に、そのように記述されているのです。「徐福、平原広沢を得、止まり王となりて来らず」は有名な一節です。
 司馬遷の時代には、百年前の徐福に関する言い伝えが、まだけっこう生々しく残っていたのでしょう。なので徐福という人物が実在していたことはほぼ間違いないわけです。

 では徐福に率いられた船団が、当時の日本列島(縄文時代晩期)に辿り着いたというのは、真実なのでしょうか?
 「史記」には東海にある「蓬莱」を求めて船出したとあるだけで、徐福が得たという「平原広沢」も、必ずしも日本に該当するとは限りません。
 しかしここ新宮市を初めとして、お隣の熊野市、佐賀県、富士山北麓、鹿児島市、瀬戸内西部、愛知県沿岸部、東北地方、八丈島など、日本のあちこちに、かなり古い時代から、徐福伝承が存在しているのです。
 これは徐福船団が嵐に遭うか何かしてバラバラになり、列島各地に漂着したことを物語っているのでしょうか? もしくは段階的に東海へ向けて、船出したのでしょうか?
20150506134158b91.jpg
 上の写真は公園にある「徐福の墓碑」で、紀州第一代藩主の徳川頼宣が巡視の折り、阿須賀神社の祭神が秦代の徐福であると聞き及び、儒者に命じて「秦徐福之墓」と書かせ、1736年に石に刻ませたものらしいです。
 今なお新鮮な花が供えられ、大切にされていることが充分に伝わってきます。

 園内には、徐福が船出したと伝えられる中国は山東省から寄贈された石のレリーフも飾られています。
 想像図に過ぎないものの、三千名の童男童女が停泊中の巨船に乗せられていく場面が、精緻に描かれています。
2015050613422683f.jpg
 墓碑の由来にある「阿須賀神社」が近くにあると知り、重たい足を引きずって、この際とばかりに訪れました。
 公園から北へ徒歩五分ほどの場所です。
 バスの時間が迫っていたのでお参りも出来ませんでしたが、境内には民俗博物館も併設されているようです。じっくり見学したかったなあ……。
20150506134302f1f.jpg
 そして神社の北側に見える小山こそが、その名も「蓬莱山」。徐福が仙薬を求めて向かったとされる、東海に浮かぶ「蓬莱」……それが、ここだったのでしょうか?
20150506134333f07.jpg
 神社から細い路地を少し北へ抜けると、熊野川に行き当たります。川の向こう岸は、三重県の熊野市です。
 その川べりに、「徐福上陸の地」と記された灯籠型の碑がありました。
2015050613440194b.jpg
 熊野川の河口からここまで、わずかの距離です。
 熊野灘を航行中の船団が、遠くに小山を認め、あれこそが探し求めていた蓬莱山に違いない、と舵を切る場面を想像しました。
20150506134426d2d.jpg
 バスの待ち時間を利用した、ほんのちょっとの散策でしたが、実在したであろう秦の徐福とその船団に思いを馳せるには充分なひと時でした。

 秦の始皇帝という巨大なパトロンを利用して大航海を企て、実行し、そして歴史から姿を消した徐福という人物を、私は密かに「東洋のコロンブス」と思っているのです。
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