セコさと意地だけで挑むマラソン大会や、しみじみとした日常を綴ります。



   
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まんた1968

Author:まんた1968
数年前からランニングを続けている奈良県在住のオッサンです。
年に二、三回ですが、ウルトラマラソンにも挑戦しています。
タイムは凡庸なものですが、完走を目標に意地で走りつづけることを得意としています(笑)。

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八百比丘尼は何を語るか?

   
 鯖街道ウルトラマラソンの前日、曇り空の下、小浜の町をぶらついたわけですが、その道中に立ち寄ったのが、八百比丘尼伝説が遺っている、曹洞宗・空印寺です。
 八百比丘尼の読み方は、「やおびくに」もくしは「はっぴゃくびくに」と地域によって異なるようですが、小浜の場合は後者の読み方をされています。個人的には「やお」と言った方がしっくりくるのですが。

 654年、斉明天皇の御世に、16歳の若さで人魚の肉を食べてしまった若狭の長者の娘は、不老不死となり、全国各地を放浪した後にまた生まれ故郷の若狭へ戻り、洞窟に籠もって「入定」した……以上が若狭・小浜に伝わる八百比丘尼伝説の概要です。
 その洞窟が空印寺の入口付近に口を開けています。少し離れた場所から見ると、洞窟は小山の裾に掘られていることが解ります。
2015052813574861b.jpg
 「八百比丘尼入定地」なる石碑の向こうに、洞窟は小さく口を開けています。入口の向かって右側には、晩年の比丘尼をモデルにしたと思われる座像があります。
 入りはしませんでしたが、中はそれほど深くなく、突き当たりには比丘尼のお墓があるそうです。
20150528135813db0.jpg
 八百比丘尼伝説を始めとする「人魚伝承」は小浜の売りの一つでもあり、海岸には「マーメイドテラス」なるものも設けられたりして、観光客の目を楽しませているわけですが……
20150528135839eb6.jpg
 こういう恋愛対象にもなりそうな「西洋的人魚像」って、どうも八百比丘尼伝説にはマッチしませんよね。集客には適しているのかもしれませんけど。

 我が国の「人魚」と言えば、やっぱり下の画像みたいでないとあきません。魚と河童と龍と鬼が複雑に入り混じったこのフォルム。たとえそれが切り身にされていたとは言え、このような「怪物」を年若い娘が食してしまったところに、西洋的ファンタジーではない、東洋独特の悲劇を感じてしまうのです。
20150528135903971.jpeg
 「ふん…人魚? 馬鹿馬鹿しい」と一笑に付してしまえば、この伝承の本質を見誤るような気がします。「昔話」とは、それが現実かどうかでなく、「何を伝えようとしているか」という部分が重要なのだと思います。

 娘は人魚を食べ、不老不死を得た代わりに何を失ったでしょうか?
 まず、定住の安らぎを失いました。周囲がどんどん老い、死んでいくのに自分だけが若い姿のまま。これではもう一所に住んでいるわけにはいきません。人々から気味悪がられる前に、自らその土地を去らねばなりません。娘の一生が放浪に費やされたのは、そのためでしょう。

 尼となったのも、なるべく世間との距離をおくためだったように思えてなりません。正体を隠すための策だったわけです。

 全国流浪の長い年月の中で、自分より後に生まれてきた者さえが自分より先に死んでいく……悲しさに耐え、不死の身を呪い、やがて娘は故郷・若狭へ戻る決心をします。
 洞窟には「入定洞」という呼び名がつけられています。入定とは「高僧・聖者が死ぬこと」を意味し、「入滅」と同じ意味で使われたりします。
 つまり娘は、「自死するため」に帰郷したわけです。洞窟に籠もり、食を絶つ……永遠の生を終わらせるには、他に手立てがなかったのです。

 八百比丘尼伝説とは、詰まるところ、「長寿の苦痛・悲劇」を説いているように思えてなりません。紛れもない自然界の一部である人間が、「反自然的な存在になった」ことの間違いを、この昔話は戒めているのです。
 文明社会に生きることは、イコール自然に逆らうことです。そのことに薄々気付いてはいても、もはや我々は、後戻りできない段階まで、どっぷりと反自然生活に浸ってしまっているのです。我々現代人が心の奥底で絶えず感じている不安とは、そんな自分に対する言いようのない恐れではないでしょうか?

 「幾つになってもビンビン」などと精力増強をあおるCMが、我が物顔でたれ流されています。しかし考えてもみましょう。性欲に振り回され続ける一生が、果たして幸せといえるのでしょうか? 草木と同じで、ある段階まで来たら、少しずつ萎れ、枯れていくのが理想なのではないでしょうか?

 八百比丘尼の物語は、生きる指針を喪失し、迷走する我々現代人に、「吾が悲劇を繰り返すな」と訴えかけているように思えてなりません。
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