セコさと意地だけで挑むマラソン大会や、しみじみとした日常を綴ります。



   
S M T W T F S
- - - - 1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 -
<< 2017 >>
プロフィール

まんた1968

Author:まんた1968
数年前からランニングを続けている奈良県在住のオッサンです。
年に二、三回ですが、ウルトラマラソンにも挑戦しています。
タイムは凡庸なものですが、完走を目標に意地で走りつづけることを得意としています(笑)。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
フリーエリア
フリーエリア
カレンダー
05 | 2017/06 | 07
- - - - 1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 -
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
このブログをリンクに追加する
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR
アクセスカウンター


2019年の無常観

   
bladerunner2.jpg
 この夏、何年かぶりに映画「ブレードランナー(1982年・リドリー・スコット監督)」をDVDで鑑賞した。

 この映画は中学生だった頃、大阪の映画館で観て以来、その圧倒的な未来世界のヴィジュアル・イメージとハードボイルドな語り口が深く心に刻まれ、これまで何度となくレンタル・ビデオという形で鑑賞はしてきたのだが、胸苦しくなるほど暗い未来社会が舞台となっているために、気軽に鑑賞出来る類の映画ではなく、ソフトを購入する気にはなれずにいた。観る度に気持ちが滅入り、ぐったりとしてしまうのである。

 青空の見えない近未来都市。じくじくと降り続ける酸性雨。行き過ぎたコマーシャリズム。社会格差は開き、ホームレスがうろつくスラム街の上空を、巨大企業のCMを垂れ流す飛行船がゆっくりと通過する。ピラミッド建築を想わせる建物群は富と権力の象徴だが、どこか錆びており、もうこの社会自体の命脈が尽きかけていることを示唆している……。

 行き過ぎた商業主義がたどり着いた、まさにディストピアの未来像である。近未来SF映画には、こういった悲観的な未来像が多いけれど、ブレードランナーのそれはまさに究極の感があり、公開から三十年以上経った現在まで、この映画を凌駕するほどの未来像を打ち出した作品は産み出されていないのではあるまいか。

 今回しばらくぶりに鑑賞して、この映画の舞台設定が西暦2019年であることに気が付き、「なんだ。もうすぐやん……」と少し意外に感じてしまった。
 中学生の時分に観たときは、こんな社会はまだまだ先のことで、もし将来このような暗黒時代が訪れようとも、おそらく自分はもうこの世には存在していないだろう、などと楽観していた。だが、なんのことはない、2019年はもうすぐそこで、私はまだピンピンしている。ブレードランナー世界に否応なく突入せざるをえない事態になってしまったわけだ。えらいこっちゃ( ̄。 ̄;)

 では現実の社会はといえば、三十数年の時を経て、映画のそれに追いついたか? 幸か不幸か、まだまだと言わざるをえない。
 車はやっと自動運転の入口に差し掛かった程度で、空を飛ぶなどまだ先の話。
 環境汚染は間違いなく進行しているものの、まだ青空は拝めている。
 しかし、映画の設定へと発展するかもしれない萌芽はあちこちに見られるようになった。
 まずは先進企業がこぞって着手しているロボット開発。これが行く行くはレプリカントなる人造人間開発に移行していく可能性は大である。ちなみに映画に登場するタイレル社の最新レプリカントは「ネクサス6」と呼ばれている。G社の出現を予言していたかのようなネーミングではないか。
 社会格差の拡大は世界的な問題となった。映画で描かれるのは2019年のロサンゼルスの状態だけであるが、あれだけ人が密集し、人種の坩堝となっている様をみれば、おそらく地方は過疎化が極まり、朽ち果てた場所へと様変わりしていることだろう。
 資源の枯渇も大問題である。映画ではもう既に、資源を地球外へ求めている。宇宙での資源探索・開発には危険を伴う。それ故にレプリカントが開発されたという側面もあるのだ。人造人間にブラック労働をさせるというわけだ。
18uvba87ss376jpg.jpg

 優れたSF映画や小説は予知能力を内包している。中学生の頃は、正直この映画で解らない部分も多かった。ネタバレになるので詳しくは書かないが、何故あのような結末にしたのか理解できなかった。
 あれからそれなりに人生経験を積み、齢を重ねた現在、観返してみて、映画「ブレードランナー」に流れている通底音が「無常」であることに気付く。方丈記や徒然草のような「無常観」が、2019年の陰鬱な未来都市をひっそりと覆い尽くしているのだ。だからこそ公開当時ヒットしなかったともいえる。日本はバブル期に差し掛かっていたのだ。無常観が理解される余地など微塵もなかったのだ。

 劇中ハリソン・フォード演じる主人公は、その無常観を、レプリカントから教わるのだ。人間の都合で産み出され、これまた人間の都合で寿命を制限された人造人間から、生みの親である人間が無常という観念を教わるのだ。
 この皮肉な逆転……ハイテクな未来都市で生きる人間たちは、思想的には退化していたというわけだ。科学技術が人間から複雑な感情を奪い、レプリカント以上にレプリカント的な生き物に変えてしまったと言えないだろうか。
スポンサーサイト
| comments(0) | trackbacks(0) | page top |


この記事のトラックバックURL:
http://masahashi.blog.fc2.com/tb.php/244-cf372aff
<< NEW | TOP | OLD>>