セコさと意地だけで挑むマラソン大会や、しみじみとした日常を綴ります。



   
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まんた1968

Author:まんた1968
数年前からランニングを続けている奈良県在住のオッサンです。
年に二、三回ですが、ウルトラマラソンにも挑戦しています。
タイムは凡庸なものですが、完走を目標に意地で走りつづけることを得意としています(笑)。

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敗者への想像力

   
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 私の好きな戦国武将は、ダントツで明智光秀である。なので山崎の合戦で羽柴秀吉軍に敗退し、近江坂本城へと落ち延びる道中に落ち武者狩りの手に掛かって落命する瞬間まで、光秀という人がどのような生い立ちを経て、やがて織田信長の重臣となり、挙げ句に主を葬り去ろうと思い立ったのか……その生涯全般について興味が尽きることはない。

 しかしその前半生は、未だ深い霧に覆われたままだ。美濃の土岐氏の流れを汲む血筋だという説もあれば、若狭小浜の鍛冶屋の倅だという説もあり、後者だとすれば、「賤しい生まれ」と蔑まれた秀吉なんかと、さほど違わない出自だと言えよう。

 光秀は教養人だったと伝えられており、粗野な秀吉とはドラマなどでは正反対のタイプとして描かれることが多い。
 秀吉は、陽性で取っ付きやすく、対して光秀は、陰性で線が細く神経質。
 しかし思うのだが、そんな根暗で重箱の隅をつつくような人間が、信長の下であれほどの出世を遂げられるものだろうか?

 信長は家臣たちに完全実力主義の出世競争を強いたことで知られている。なので出自の不明な秀吉や光秀、そして滝川一益などが日の目を見ることができたわけだが、そうした「外様連中」に対する尾張・美濃衆のいじめはかなりのものだったらしい。
 柴田勝家のような正統派尾張衆からすれば、秀吉も一益も確かに「どこぞの馬の骨」である。ましてや光秀は、比較的遅くに信長に召し抱えられた、今でいう「中途採用組」である。風当たりは尚更強かったのではあるまいか。

 そんな環境下でノイローゼにもならず、短期間で過酷な出世競争を勝ち抜き、重臣の座へと上り詰めた人間が、潔癖症の神経質であったはずがない。
 ある程度ぶっとい肝っ玉を持ち、この世の複雑さに臨機応変な対応の出来る性質でないと、まずもって生き残りは不可能であろう。つまり光秀という人は、そういう処世術が出来たのである。
 敗者のイメージは勝者によって後々造られるものである。光秀の現実とは異なる「陰性」のイメージも、秀吉たちの手で拵えられたものであろうと想像する。

 そのように、私は「敗者・明智光秀」に、ちょっとやそっとではへし折れない「豪の者」の姿を思い浮かべる。信長に仕えるまでの永きに及んだ放浪生活が、光秀をそんな男へと鍛え上げたのだろう。綺麗事だけでは決して浮かび上がれないが、また冷酷さだけでも浮かび上がれないこの世の現実というものを、身を持って学んだに違いない。

 なので私は「謀反の理由」についても複雑には考えない。信長に対する怨恨。朝廷黒幕説。秀吉に唆されたとする説、等々、色々な推測がなされているけれど、私はどれも支持しない。
 「天下取り」……豪の者・光秀が、ストレートに信長に取って代わろうとした、というのが真実だと思っている。僅かな手勢だけで本能寺に信長が滞在する……そんな千載一遇のチャンスを得て、光秀が乾坤一擲の勝負に出たのだと思いたい。
 「恩義」ある信長を討つにあたり、光秀に迷いはなかったのか? 私は現代人が考えるほどの躊躇いはなかったと想像する。あったとすれば、むしろ「謀反が成就するか否か」についての迷いであったと思う。何せ家臣や一族郎党すべてを巻き込む大勝負なのだ。成就しなければ全滅は免れない。

 そして光秀は勝った。だがその直後、秀吉が自分に仕掛けてきた一か八かの勝負に、紙一重の差で敗れ去り、一族ともどもあの世へと旅立った。
 「おのれ筑前(秀吉)……無念じゃ」
 私の思う光秀は、死の間際にそんな恨み言など口にしない。「無念」などと言っていられるほど甘くないのが、戦国武士の一生だったはずだから。
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