セコさと意地だけで挑むマラソン大会や、しみじみとした日常を綴ります。



   
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 - - - -
<< 2017 >>
プロフィール

まんた1968

Author:まんた1968
数年前からランニングを続けている奈良県在住のオッサンです。
年に二、三回ですが、ウルトラマラソンにも挑戦しています。
タイムは凡庸なものですが、完走を目標に意地で走りつづけることを得意としています(笑)。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
フリーエリア
フリーエリア
カレンダー
09 | 2017/10 | 11
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 - - - -
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
このブログをリンクに追加する
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR
アクセスカウンター


スポンサーサイト

   
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
| - | - | page top |

縄文退行

   
2_02diorama1.jpg
 農業が行われなくなった日本を想像してみる。
 スーパーマーケットに並ぶ野菜類は、米を筆頭として、大根、人参、キャベツ、白菜など、全てが外国産の輸入物に置き換わる。
 品質は大丈夫なのか? 農薬の量はどうなのか?……ここではそんなことが言いたいのではない。それらの品質云々より先に、そういう売り場の状態が大変危険だと言いたいのだ。薄氷の上に立っているようなものだ。

 戦中の食糧難を身を持って経験された世代の方々を除いて、私を含め、現代人の大半が、「金はあれども物は無し」という状態を味わったことがない。高価な着物が一握りの米や野菜と均等に取り引きされるという異常事態を、身体感覚を伴って理解することが出来ていない。「物などあって当たり前」の社会で、そのことに疑問を抱くこともなく成長してきたからだ。

 縄文時代は「狩猟・採集経済の時代」だったと言われている。土地に縛られず、身分の上下もさほどなく、人々が牧歌的に生命を謳歌していた……などと良い面ばかりが語られることが多いが、ノマド的ではあることは、非常に食糧事情が不安定だとも言えるのである。
 獲物が捕れる時はいいのだ。だが何かの弾みで不猟が長きに及んでしまうことが必ずある。「冬の時代」が到来するわけだ。
 そうなるとその社会は、「春夏の時代」に維持できた人口を、どう足掻こうが養えなくなってしまう。その辺の理屈を本能的に彼ら縄文人は解っていたのだろう、弥生時代が到来するまで日本列島の人口はそれほど増加しなかった。
 とにかく狩猟・採集社会は、自由がある反面、不安定であることも事実なのだ。だから大陸北部の騎馬民族なども、万里の長城を越えて中原への侵入を幾度となく試みたわけだ。定住農耕を取り入れて食生活を安定させたかったのである。

 渡来人の手によって大陸から(あるいは南方から)稲作がもたらされると、日本列島でも人々の生活が定住へとシフトし始める。農耕生活によってノマド的自由は失われ、土地所有の概念によって身分格差が否応なく生じたが、それら負の側面にも目を瞑り、当時この国では稲作の普及に邁進した。
 すべては食糧事情を安定させるためである。植えておくだけである程度の収穫が見込め、しかも貯蔵もきく「米」という食べ物が、それだけ魅力的だったのだ。

 そしておよそ二千年という月日が流れ、この国から稲作が、いや農耕自体が消滅しそうな気配が濃厚になってきた。
 つまり日本列島は、「稲作以前」へ退行を始めたのである。その証拠に、弥生時代から右肩上がりだった人口が、はっきりと減少に転じてしまった。これは人々の深層心理に、「もう食糧の安定は望めない」という絶望感が、知らず知らずに根差してしまったからではないだろうか? 農耕から足を洗い、食糧の生産を「人任せ」にしてしまうのであるから、冷静に考えたら不安感を拭い去れるはずなど無いのだ。

 「一生懸命働いて、その金で買えばいいじゃないか」という理屈は、もう過去の物となった。大手企業が舵取りを少し間違えただけで、見る影もなくなってしまうという過酷な時代が到来したのだ。昔に比べ、会社員の足元の氷は、限りなく薄く、不安定になってしまった。
 時代の「縄文化」。食糧生産を放棄した日本人の向かう先は、明日をもしれぬ「ノマド的根無し草」の生活しかないのである。
 
 ほんのちょっとの外部要因で食糧の輸入がストップし、スーパーの棚ががらんどうになった光景を想像してみよう。
 山羊じゃあるまいし紙幣をかじるわけにもいかず、草ぼうぼうの荒れ地になったかつての田畑を横目に、我々21世紀縄文人は、木の実でも拾って腹の足しにしようと、これまた荒れ放題の山々へ分け入っていくのであろうか。
 もうこれは笑い話では済まなくなる。
スポンサーサイト
| comments(0) | trackbacks(0) | page top |


この記事のトラックバックURL:
http://masahashi.blog.fc2.com/tb.php/273-12c8a5c9
<< NEW | TOP | OLD>>
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。