セコさと意地だけで挑むマラソン大会や、しみじみとした日常を綴ります。



   
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まんた1968

Author:まんた1968
数年前からランニングを続けている奈良県在住のオッサンです。
年に二、三回ですが、ウルトラマラソンにも挑戦しています。
タイムは凡庸なものですが、完走を目標に意地で走りつづけることを得意としています(笑)。

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ある老夫婦の話・前編

   
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 録画しておいた映画『鬼龍院花子の生涯』を観て、ラスト近くで夏目雅子が発する「なめたらいかんぜよ!」の啖呵を久々に聞いたせいなのか、永らく思い出すこともなかった子供の頃のことを、夢という形で割と生々しく見てしまった。
 それは幼い頃、我が家の近所に住んでいた、ある老夫婦に関する記憶である。

 鬼龍院花子の生涯は、故・宮尾登美子さんの小説を映画化したものであり、この作品を初めとして、宮尾小説は、作者の郷里である高知県を舞台にしたものが殊更有名である。
 時代設定は大正~昭和初期が多く、舞台は漁師町の遊廓や料亭。登場人物も遊女や侠客といったパターンが多い。基本的には濃密な「愛憎劇」である。

 昔、近所にいた老夫婦も、高知県は土佐清水の出身だった。
 以下はある程度長じてから、亡き母より聞いたことなのだが、老夫婦の「おっちゃん」の方は、高知の大きな網元のぼんぼんとして生まれ、それ故に遊び人となり、家業を手伝うこともなく、若い時分は極道者などとつるんだりして、遊廓にも頻繁に出入りしていたらしい。まあ、金の苦労を知らない道楽息子だったわけだ。

 対して老夫婦の「おばちゃん」の方は、四国は愛媛の生まれらしく、若き日のおっちゃんと知り合った頃は、高知の遊廓で働いていたという。果たして遊女だったのか、それとも単なる下働きだったのか、そこらのことは母も知らなかったし、まあそんなこと、本人に訊けんわな(笑)

 とにかく若き日の老夫婦は、上記のようなペアだったわけだ。

 どちらが先に惚れたのか知る由もないが、「一緒になりたい」というおっちゃんの願いは、郷里では叶わなかった。(放蕩息子とは言っても)何せ由緒正しい網元の跡取りなのだ。どこの馬の骨とも知れぬおばちゃんとの結婚など、認められる筈もない。
 「どうしても一緒になるちゅうんなら、二度とこの家の敷居を跨ぐことはまかりならん。出ていけッ!」
 「おう、上等や。出ていっちゃるわッ! 二度と戻るか!」
 おそらく、おっちゃんの実家では、こういう会話が交わされたことだろう。売り言葉に買い言葉。そしておっちゃんは勘当されたのだった。

 しかしおっちゃんは、遊廓にいたというおばちゃんを、どのようにして身請けしたのだろう? 勘当の身なれば、実家の金をあてに出来ない。されど請け出すには金がかかる。
 その際のいざこざが原因なのか、私の知るおっちゃんの手は、どちらのどの指だったか定かでないが、一本だけ、第一関節から先が欠損していた。普段は指サックのようなものを嵌めているのだが、気が向くとそれを外し、先っぽの丸まった短い指を、見せてくれたものだ。
 「あんた、やめときいな……」
 「かまへんやないか、なあ、○○ちゃん(私の名前)」
 まだ幼く、偏見とは無縁だった当時の私は、そんな老夫婦の会話をよそに、常人とは異なるおっちゃんの手をしげしげと眺め、きゃっきゃとはしゃいでいたのである(笑)
 ちなみに皺だらけのおっちゃんの掌には、ほんの小さなものだったが、文字だか模様だかわからない刺青が入れられていたのだが、それもまた私には、興味津々の代物だった。

 そんなこんなで、半ば駆け落ち同然の状態で、縁もゆかりもない関西へと流れてきた若き日の老夫婦は、私が物心着いた頃には、すでに我が家の近所の小さな借家に住まいしており、年金暮らしのような毎日を送っていた。
 その齢になるまで関西のどこを流れ歩き、どのような仕事をしてきたのか、私は知らない。私の父や母は知っていたのかもしれないが、話してくれたことはない。多分、詳しくは知らなかったのだろうと思う。
 とにかく、網元のぼんぼんとして育ち、それまで生活の苦労を味わったことがないおっちゃんは、こちらへ来てからさぞや難儀されたことだろうと想像する。若い時分から遊廓で働いていたおばちゃんの方が、持ち前の気強さを発揮して、縁者のいない心細い毎日を支えていたのではなかろうか。こういう状況で頼りになるのは、いつの時代もたいてい女なのだ(笑)
 鬼龍院花子ではないが、まさに「なめたらいかんぜよ!」の心意気で、おばちゃんは踏ん張ったのであろう。どこぞの馬の骨と馬鹿にした土佐の連中を見返してくれる、その一心で。

 長くなりそうなので、今回はこれまで。続きは次回の講釈にて……。
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