セコさと意地だけで挑むマラソン大会や、しみじみとした日常を綴ります。



   
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まんた1968

Author:まんた1968
数年前からランニングを続けている奈良県在住のオッサンです。
年に二、三回ですが、ウルトラマラソンにも挑戦しています。
タイムは凡庸なものですが、完走を目標に意地で走りつづけることを得意としています(笑)。

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新春古代史散歩・鏡作神社から唐古・鍵遺跡を巡る

   
 年明け二日目、箱根駅伝観戦に興じる家族を横目に、一人、またぶらりと電車に乗り、まったりとした正月の雰囲気を味わいに行ってきた。

 行った先は奈良盆地のほぼ中央にある田原本町。近鉄橿原神宮前行に乗り、途中の田原本駅にて下車。お目当ての「鏡作神社(かがみつくりじんじゃ)は、駅から北東方向およそ九百メートルに位置している。
 初詣客も少なく、神社は町中の鎮守の森に、ひっそりと佇んでいる。

 この鏡作神社、正式の名称は「鏡作坐天照御魂神社(かがみつくりにいますあまてるみたまじんじゃ)」と言い、大変古い起源を持つ。
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 崇神天皇の時代、内侍所(ないしどころ)に祭る神鏡を鋳造する折りに、試作鋳造した鏡を御神体とする、との由緒を伝え、社宝として三角縁神獣鏡の外区が欠落したと思われる鏡を、「三神二獣鏡」と称して伝えている。
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 三角縁神獣鏡といえば、邪馬台国の卑弥呼が中国から朝貢の返礼として贈られた銅鏡がそれではないかのと推測がなされたりして有名であり、天理市の黒塚古墳から多数の神獣鏡が出土したことにより、邪馬台国畿内説を唱える研究者たちは、これこそ邪馬台国がこの辺りに存在した証拠である、と声色を強めた鏡でもある。
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 私としては邪馬台国・北九州説を支持しているので、鏡作神社の御神体が、邪馬台国から後に大和朝廷へと引き継がれた鏡だとは考えない。おそらく、初期の大和朝廷が、独自のルートで入手した中国製の鏡を参考にして、この大和の地で鋳造したものだと想像する。
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 その和鋳鏡の制作に従事した工人集団が、当時この辺り一帯に住まいしていた「鏡作部(かがみつくりべ)」なる人たちだったのであろう。その先祖は、銅鏡製造という特殊技能を有して大陸からやってきた渡来人で、彼らの職人の技が、子孫、あるいは倭人たちに継承され、発展したのだと思う。
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 この田原本周辺は、現在でこそひっそりしているが、古代には、大和朝廷以前(つまり古墳時代より前)から、当時の先進技術の集積地であった可能性が高い。
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 鏡作神社から北東へ歩く。国道24号線を東側へ渡ったすぐの所にあるのが、「唐古・鍵遺跡」である。
 まずは「鍵池」へ立ち寄る。
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 弥生時代中期から古墳時代中期という長期間にわたって存続したこの大型環濠集落跡は、現在、唐古池・鍵池という二つの農業用溜池の地下に埋もれている。
 鍵池の堤防から北西方向およそ百メートルの辺りに見えるのが「唐古池」で、池底から発掘された土器に描かれていたイラストを参考にして復元された、「弥生期の登楼」が池の隅に建てられている。
20160103124406020.jpg
 当時は二つの池に挟まれた田んぼの辺りも、巨大な環濠集落の一部であり、まだ発掘はほんの少し着手されたに過ぎない。集落の規模は、まだまだ未知数である。
20160103124433865.jpg
 出土品から、ここにも「青銅器工房」と言ってもいいほどの技能を有した一団が居住していたといえよう。しかも年代的には、大和朝廷以前の昔から、である。

 邪馬台国大和説論者の一部が、「卑弥呼の宮殿は田原本の市街地の下に眠っている」と主張しているのは、田原本周辺がこれほど当時の倭国において先進地帯だったからに他ならない。今のところ、世間の視線は、桜井の巻向遺跡の方に注がれている現状だが、それと並行して、もっとこの辺りの発掘・研究も進めてほしいと切に願う。
 大和朝廷の発祥解明の鍵の一つは、間違いなく田原本周辺にあると、私は確信している。

 それはともかく、正月になる度に、奈良に住まいしていることをつくづく幸せに感じる。ほんのちょっと足を延ばすだけで、これほど古代の息吹を感じることが出来るのだから。
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