セコさと意地だけで挑むマラソン大会や、しみじみとした日常を綴ります。



   
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まんた1968

Author:まんた1968
数年前からランニングを続けている奈良県在住のオッサンです。
年に二、三回ですが、ウルトラマラソンにも挑戦しています。
タイムは凡庸なものですが、完走を目標に意地で走りつづけることを得意としています(笑)。

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卑弥呼の系譜

   
 割と近いにも関わらず、いや、近場だからこそこれまで足が遠のいてきた古墳へ、黄金週間の一日を利用して行ってきた。
奈良県は磯城郡川西町にある『島の山古墳』である。
 近鉄橿原線の結崎駅で下車、真西へ徒歩で15~20分、古墳は住宅街の真ん中にどっかりと鎮座している……いや、大きな周濠を巡らせているその姿は、「浮かんでいる」と表現するほうが適切かと思う。その名の通り、まさに「島」の「山」だ。
20160502142939631.jpg
 今から二十年前の発掘調査で、前方部墳頂に埋葬施設が確認され、その出土品の内容から、「被葬者は女性ではないか?」と話題になった。
 「古墳」「女性」のキーワードが揃えば、いやがうえにも卑弥呼を連想してしまうが、この島の山古墳は四世紀末頃の築造とされており、邪馬台国よりはだいぶ時代が下る。よって卑弥呼とは無関係だとしても、被葬者をイメージするのに、巷間に流布している卑弥呼像は役に立つ。古代倭国で、古墳に葬られるような女性は、やはり「呪術・司祭」の系統、シャーマンの系譜に違いないと思ってしまうわけだ。
201605021430191b0.jpg
 この古墳は国の史跡に指定されているので、見学に行ったとしても、部外者は立ち入りできない。周濠に沿ってぐるりと巡るしかないのだが、墳丘長が200メートルもある島の山クラスともなると、それだけではなかなか全体像が把握しにくい。表土に鬱蒼と木々が生い茂っているから尚更である。

 そこで空撮写真に今回の、おおよその撮影アングルを記してみた。上空から観ると、左右対称の実に綺麗な前方後円墳であることが一目瞭然だ。
20160502143057827.jpg

20160502143120fe7.jpg

20160502143140cc0.jpg
 空撮写真からも解るように、南側は周濠に沿って家屋が並んでおり、撮影は難しい。
 ちなみに解説板(下写真)は、②のあたりに設置されている。
2016050214321826a.jpg
 前方部の女性が葬られていたと想像される長い木棺の周りからは、「車輪石」と呼ばれる腕輪の一種などが、130点あまりも発掘されている。これらは石製だが、弥生時代に九州で盛んに用いられた南海産の貝の腕輪を、古墳時代になって緑石を使って模倣したものだという。
20160502143241bba.jpg
 また、この古墳の後円部には、破壊されて形はとどめていないが、天井石を持った立派な竪穴式石室の存在が確認されている。
 可能性としては、この石室の被葬者が、当時この一帯を統治した「男性首長」であり、前方部の女性被葬者は、その首長を呪術面で補佐した司祭者であろうと考えられる。卑弥呼の時代には「女王を支える男性」の存在が、倭人伝に記されているが、中国の文献史料にもほとんど記述がない、俗に「空白の四世紀」と呼ばれるこの時代には、統治における男女の順序が、同等、あるいは逆転していたことが、考古学的に推測されるのである。
2016050214330751c.jpg
 古墳の西側には、現在「唐院」という地名が残っている。地名の由来がどれほど遡るのか定かでないが、島の山古墳の築かれた四世紀末、このあたりは先端技術を持った渡来人の密集地だったことは容易に想像がつく。
 彼らが文献史料では空白となっている四世紀に、倭国の統治システムを女系から男系へと徐々にシフトさせ、やがてこの国は、「倭の五王」の時代を迎え、また文献上に姿を現しはじめる。

 島の山古墳は統治システムが激しく振れた変動期の遺構として、また、空白期を解明する手掛かりとして、数々の魅力を内包し、今日そこに佇んでいるのだ。
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