セコさと意地だけで挑むマラソン大会や、しみじみとした日常を綴ります。



   
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まんた1968

Author:まんた1968
数年前からランニングを続けている奈良県在住のオッサンです。
年に二、三回ですが、ウルトラマラソンにも挑戦しています。
タイムは凡庸なものですが、完走を目標に意地で走りつづけることを得意としています(笑)。

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五百羅漢を観に行く(後編)

   
 〈誰が? いつ? 何の目的で?〉……それら全てが謎に包まれている、北条石仏「五百羅漢」。だが、実際にこうして感情豊かな野仏の面々に向き合ってみると、そうしたミステリーは大して意味をなさなくなる。「分からないからいいんだ」「霧に包まれているからこそ、いいんだ」という気持ちが、ごく自然に湧き上がってくる。
 分からないならば、見る人がそれぞれ、イマジネーションを膨らませ、歴史に名を刻むことのなかったこれら石仏の作者の人となりを、想い描けばいいのだ。
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 ここに二つのキーワードがある。一つは寺に伝わる〈慶長15年、17年の銘が刻まれた幾つかの遺品〉であり、二つ目は、〈渡来人の手による〉という一説である。
 この二つの鍵を手掛かりに、私なりの想像を膨らませてみると……。
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 〈慶長〉という年号でまず連想するのは、豊臣秀吉による「文禄・慶長の役(朝鮮征伐)」である。そこに〈渡来人説〉が加わるとどうなるか?

 朝鮮半島を舞台に唐国(からくに-当時の明国)をも巻き込んで凄惨に展開したこの対外戦争により、派兵した西国大名たちは、多くの朝鮮人を戦争捕虜として日本へ連れ帰った。鍋島の有田焼や伊万里焼、毛利の萩焼、島津の薩摩焼といった陶磁器は、この戦役によって日本へ連行された朝鮮人陶工の手で始められたと言われている。
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 戦役後、この北条の地へ、戦争捕虜が連れてこられたという確たる証拠は何もない。だが、連行されたと仮定してこの石仏群を眺めると、そこにはどのような当時の光景が浮かび上がるだろうか。
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 その拙い拵え、それゆえに素朴な石仏たちの表情……作り手は技術を持った特別な人たちではなく、日々を生きる「声無き人々」であった。だからこそ後世に、何も伝承が残らずにきたのだ。
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 想像が許されるなら、その声無き人々がどのような思いで、これらの仏を一体また一体と、拙き手で彫りあげていったのかについて考えてみたい。

 望郷の念。生木を裂くように別れさせられた家族への思い。共に連れてこられ、故国へ還ることを願い続けながら先に死んでいった仲間への供養……などの感情がごくごく自然に想像できるのである。
 その上私は、石仏をじっくりと眺めながら、次のようにも思った。
 「これら石仏の表情は、作り手の心模様ではあるまいか」と。
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 例えば「合掌する石仏」にも様々な表情があることに気が付いた。昨日今日に愛する者を亡くし、悲しみの渦中で、この世の終わりのような顔をして掌を合わせているものもあれば、絶望の期間を乗り越え、ある程度心の整理がついたのか、穏やかな落ち着いた面持ちで、ただ「深」と祈りを捧げている石仏もある。
 これは作り手が、その時の己が心を石に彫りつけた証左ではないだろうか。
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 あるいはこうも考えられる。連行され、悲嘆にくれた朝鮮人が、絶望のただ中で石仏を彫る姿を遠巻きに見ていたこの地の民衆(日本人)が、同情の念から、「深とした」後者の石仏を彫りあげたのではないか、と。
 言語や民族は異えども、人としての悲しみや喜びや怒りは同じである。最初は偏見もあっただろうが、時と共に打ち解け、「声無き者同士」一緒に石にその思いを刻みつけていったのではあるまいか。そうあってほしいという願いが、私にそんな想像をさせた。
 だとすれば、雨や風、太陽にさらされ続け、次第に角も取れ、陰影も薄くなったこれらの石仏は、民族の壁を超えた「庶民の祈りの姿」だということになる。
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 祈りばかりではない。石仏には天真爛漫に微笑んでいるものもあれば、歯を見せて、欲剥き出しに笑っているものもある。とにかく、二つと同じものが無い。喜怒哀楽こそが人間である、と言わんばかりで、そこが観る者を惹きつけてやまない。

 「清く、正しく、強く」……時代は今、一律に人々にそう要求する。だからこその閉塞感が、この国を覆い尽くそうとしているように感じられる。
 石仏たちは言う。「そんなのは幻想だよ」「みんな違っていいんだよ」と、声無き声で語っている。

 『親が見たけりゃ北条の 西の五百羅漢の堂に御座れ』

 昔からそのように謳われてきたという北条の石仏。ここに来れば死別した者たちの面影をまとった石仏に会える……そう古人は言い伝えてきたのだ。
 私も数年前に亡くしたお袋の面影を、そこに探してみた。するとどうだろう、お袋はそこかしこに立っていた。笑っている、泣いている、怒っている、嫉妬している……その全てが生前の母親の姿だった。
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 私もいずれはこの世を去る身である。誰しもがそうであるように、この齢になるまで数々の小悪を積み重ねてきており、これからも積み重ね続けることだろう。それが「この世を生きる」ことに他ならないのならば、死後、私はこの石仏たちの片隅に、どのような顔をして佇んでいることだろう。
 死して尚、欲望に歪んだ顔つきをしているのか? はたまた全てに折り合いをつけ、ただ穏やかに、そして静かに、春の日だまりのような顔で立っているのだろうか?
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 出来うるならば後者でと願うが、そもそもそんな問いこそが愚かなのだ。なぜなら欲望も穏やかさも、全部ひっくるめての私なのだから。

 そんなことを考えながら、曇り空の下、羅漢寺を後にしたのだった。本当に来て良かった、とつくづく思った。雨は降りそうで降らなかった。
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